第5章 反則を見過ごすと、何が伝わるのか
止めたという結果と、その方法
相手を止めた。失点を防いだ。試合に勝った。その結果だけを見れば、うまくいったように見える場面があります。しかし、そのために使った方法まで認めてよいのでしょうか。
私は、反則や危険なプレーをその場で正さないと、子どもが、それも成功の方法なのだと受け取るのではないかと考えています。これは、私が育成の中で持ってきた問題意識です。特定の子どもの行動の原因を突き止めた研究結果として、述べているのではありません。
反則があったという一場面だけで、その子の性格や将来を決めることもできません。必要なのは、子ども全体を否定することではなく、その行為について基準を示し、次にどうするかを考えることだと思います。
この章では、結果を認めることと、行為のよしあしを伝えることを分け、大人がどのように関われるかを整理します。
フェアにプレーすることも、競技の中にある
JFAのリスペクトに関する公式ページは、ルールの理解と遵守、安全・公平・喜びというルールの精神、審判や対戦相手への敬意を、フェアプレーの観点として示しています。これは競技の価値や行動の基準を示す資料であり、特定の声かけの教育効果を証明する実験ではありません。R10:JFA「リスペクト」
私は、フェアプレーを、勝負のあとに添える飾りのようには扱いたくありません。どのような方法で相手と競い合うかは、サッカーの取り組みそのものに関わります。勝ちたい気持ちを認めることと、相手を傷つける方法を認めることは別です。
反則が起きたとき、大人の言葉が結果の評価だけに向いていれば、守るべき基準が見えにくくなるのではないでしょうか。私は、何を止める必要があり、何なら別の方法として試せるかを、具体的に示したいと思います。
仮想例で、結果と手段を分けてみる
ここからの場面は、実在の試合や子どもの話ではありません。大人の関わりを考えるための仮想例です。
突破されそうになった選手が、相手の服を引いて止めたとします。その直後に相手の攻撃が終わり、失点はありませんでした。大人が、助かったという結果だけを言葉にしたら、その選手には何が伝わるでしょうか。
私なら、失点を防ごうとした意図と、服を引く行為を分けて話したいと思います。守ろうとしたことを聞いたうえで、引いて止める方法は認められないと伝える。相手との距離や、自分の位置、周りとの関わりの中で、ほかに何ができたかを一緒に考える。そのような方向を採りたいのです。
これは、私が提案する関わり方です。本人がどのようなつもりだったかを、大人の推測だけで決めないことも必要です。何が起きたと認識しているかを聞き、事実と解釈を確かめる余地を残します。
大切なのは、結果がよかったことを理由に、行為についての話を消してしまわないことです。
その場で止めることと、理解を促すこと
本人の考えを聞くために、危険な状態を続けてよいわけではありません。安全を確保し、止めるべき行為は止める。そのうえで、落ち着いて話せる状況をつくることを、私は優先したいと思います。
試合中の判定は審判の役割です。指導者や保護者が判定をめぐって相手や審判を責め立てることは、子どもに伝えたい基準とも食い違います。判定への不満があることと、自分の行動を振り返ることを分けて扱いたいと思います。
同時に、審判に反則を取られなかったから問題がない、とも決めません。判定があったかどうかだけでなく、その行為が安全や相手への配慮という点でどうだったかを、必要に応じて話すことはできます。大人が見ていなかった部分は、見た事実のようには語らず、わからないことを残して確かめます。
その場で大勢の前に立たせて責めることと、基準を伝えることも同じではありません。本人を辱めず、行為を具体的に扱い、次に試せることにつなぐ。そのような関わりを、私は選びたいと思います。
反則をした子、という呼び名にしない
一つの行為を問題にするとき、その子の全部を、その行為の名前で呼ぶようにはしたくありません。「そういう子だ」と言えば、その後の変化を見る余地も狭くなります。
反対に、普段よい結果を出している子だからといって、行為についての話を避けることもしたくありません。同じ基準を持ちながら、その子が理解できる説明や、必要な支援の仕方を考える。その両方を続ける必要があると思います。
私は、本人が自分の行為を言い直せることにも意味を持たせたいと考えます。何をしようとしたか。どこで相手に無理をかけたか。次は何を試すか。すぐに整った答えを言わせることを目的にせず、少しずつ確かめます。
大人が望む反省の言葉を言えたことと、理解したことも同じではありません。答えを覚えさせるだけになっていないか、その後の場面でも一緒に見ていく必要があります。これも、私の関わり方の提案であり、本人の心の中を判定する方法ではありません。
結果以外の成功を、どう認めるか
勝敗以外を認めると言っても、何でも褒めればよいとは思いません。何を見ているかを具体的にしたいのです。
先ほどの仮想例なら、次の試合で失点しなかったかどうかだけを見るのではなく、本人が服を引く以外の方法を試したか、その場面で何を考えたかも確かめられます。結果が悪かったとしても、基準を守りながら取り組んだことは、結果とは別に扱えます。
逆に、結果がよくても、守るべき基準を外れていたら、そのことは話す。大人が評価する軸を揃えておけば、子どもも、何を目指して振り返ればよいかをつかみやすくなるのではないかと、私は考えます。
ここでの成功は、必ず相手を止めることではありません。状況を考え、認められる方法を選ぼうとし、うまくいかなかったことを次へ持ち帰る。その過程にも、認めたいものがあります。
大人自身の振る舞いも、問いの対象になる
子どもに敬意を求めながら、大人が相手や審判に敬意を払わないとき、その説明を本人はどう受け止めるでしょうか。私は、子どもだけに一貫した態度を求めず、大人自身も振り返るべきだと思います。
もし結果ばかりを褒め、問題のある行為を見過ごしたと気づいたなら、あとから話し直してもよいはずです。あのとき何を伝え損ねたかを示し、これからの基準を確かめる。大人が自分の説明を修正する姿も、対話の一部にしたいと思います。
ただし、すべてを保護者一人や一人の指導者の責任にする話ではありません。チーム内で基準が食い違うなら、関係する大人同士で共有することも必要です。子どもを、大人の対立の伝言役にしないことも大切にしたいと思います。
この問題意識と、作品の限界
現行の「0-2は危険なスコア」には、反則を正すか見逃すかを体系的に扱う専用の仕組みはありません。論考の問題意識と作品で担える範囲の違いは、第8章で説明します。
子どもに何が伝わったかを、結果だけから確定することはできません。それでも、結果と手段を分けて伝える責任は、大人にあると私は考えます。勝ちたいという思いと、フェアに取り組む基準を、一緒に育てられる環境を考えたいのです。