第4章 幼少期の優位は、その後の成長を保証しない
成功を認めながら、その先を見る
第1章で述べた、幼いころの成功体験が足かせになったと感じた経験から、この章では成功のあとの成長を考えます。
その経験から、成功は子どもによくない、と結論づけたいのではありません。できた喜びや、結果を認められることを大切にしながら、それが次の挑戦へどうつながるかを考えたいのです。いまの強みを喜ぶことと、その強みだけで将来まで判断することは、分けておく必要があると思います。
また、私が成長を感じられなかったことと、その子に変化がなかったことも同じではありません。試合の結果や目立つ技だけを見ていれば、取り組み方や考え方の変化を見落とす可能性があります。子どもの姿を語る前に、大人の側が何を成長として数えていたかも確かめたいと思います。
この章では、早い時期の優位を一つの原因で説明せず、身体の成熟、年齢の区切り、経験と評価、大人の関わりに分けて考えます。
「早くできる」の中身は、一つではない
同じ年代で目立つ理由には、さまざまなものがあり得ます。技術を身につける機会が多かったのか、身体の発達が進んでいるのか、状況を理解するのが得意なのか。いま結果が出ているという事実だけでは、その内訳はわかりません。
IOCの2015年の合意声明は、若い選手の発達には個人ごとに異なる成長・成熟が関わり、競技成績の変化をトレーニングや指導だけに帰せない場合があると説明しています。私は、現在の成績を、そのまま将来の可能性の大きさとして扱わないための視点として参照します。R3:Bergeronほか(2015)、Maturation
ここでいう身体の成熟は、努力の有無や性格とは別の話です。早く発達したことが、その子の手柄だけではないからといって、積み重ねた努力まで消えるわけでもありません。どちらか一方で説明するのではなく、現在の力を成り立たせているものを、できる範囲で分けて考えたいと思います。
私は、早く目立つ子には必ず壁が来る、遅く伸びる子は最後に逆転する、といった物語を、現実の子どもに当てはめたくありません。どちらの筋書きも、一人ひとりのその後を見ずに説明してしまうことになるからです。
相対年齢と、身体の成熟を混ぜない
同じ学年や年齢区分の中にも、生まれた時期による年齢差があります。この区切りの中での年齢の違いと、参加や選抜等の偏りに関わる現象が、相対年齢効果と呼ばれます。
Cobleyらの2009年のメタ分析は、年齢区分によってまとめられた競技集団での相対年齢効果を検討し、その大きさが年齢カテゴリー、競技水準、競技の文脈等によって異なることを報告しています。本稿での参照は著者抄録の範囲に留め、日本の特定年代の数値や、個々の選手の将来予測には使いません。R9:Cobleyほか(2009)
同じ区分の中で年齢が上であることと、身体の成熟が早いことは、同じ概念ではありません。また、そのどちらも、ボールを扱う技術や本人の考える力そのものとは区別する必要があります。
私がここから考えたいのは、生まれた時期を根拠に期待を上げ下げすることではありません。いまの選抜や評価に、本人が変えられない条件が含まれているかもしれない、と大人が意識することです。選ばれたという結果も、選ばれなかったという結果も、その子全体への判定に広げないようにしたいと思います。
成功のあとに、何が起きているか
では、私のいう「成功体験が足かせになる」とは、どういう問題でしょうか。
ここでは、成功のあとの関わりを考えるために、仮想例を置きます。得意な方法で結果を出してきた選手が、新しい方法を試すと一時的に失敗が増える場面です。そのとき、大人が以前の結果だけを求め続ければ、本人には、試すよりも元の方法を守る方が安心に見えるかもしれません。
この例で問いたいのは、本人が挑戦を嫌う性格かどうかではありません。試してよいと言いながら、失敗したときに認めるものが何もなくなっていないか。以前の成功を褒める言葉が、別の方法を試してはいけない、という意味で伝わっていないか。大人の側にも、確かめる点があります。
もちろん、同じ場面でも本人の受け止め方は違うでしょう。評価を失う不安が原因だと、外から決めつけることはできません。本人が何を大切にし、何を難しいと感じているかを、話せる範囲で聞く必要があります。
成功体験を減らすことが解決なのではなく、成功したあとも学ぶ余地を残せるか。それが、私の考えたい課題です。
以前の自分を守ることと、変わること
得意なものは、その子にとって支えにもなります。新しいことをさせるために、いまの得意なことを低く扱ったり、過去の成功を否定したりする必要はないと私は考えます。
そのうえで、何を変えようとしているのかを具体的にする。結果が一時的に下がる可能性があるなら、どのような試みを見ているのかを先に共有する。終わったあとに、結果と試みを別々に振り返る。こうした関わりを、私は提案したいと思います。
たとえば、仮想例の選手なら、新しい方法で何を確かめたいかを一つ決め、試した場面を本人と振り返ることが考えられます。「失敗してもよい」という大きな言葉だけでなく、何を学ぼうとしているかを共有するためです。特定の声かけをすれば成長が戻ると確認した方法ではありません。
ここで、以前より難しい課題を与え続けること自体を目的にしないようにもしたいと思います。本人の状態や、安全に取り組める条件、楽しさも確かめる必要があります。周りより優れていなければならないという圧力を、新しい形で加えないようにしたいのです。
評価を、次の機会につなげる
私は、結果を評価することをやめたいわけではありません。いまの力を知ることは、次に何を学ぶかを考える手がかりになります。ただ、その評価を、その子がこれから経験できることを閉じる言葉にはしたくありません。
「この子は早くできたから、その先は難しい」「いまは目立たないから、あとで必ず伸びる」。どちらも、先を知っているかのような説明です。大人が持つべきなのは、結末の予言よりも、変化に応じて関わりを見直す準備ではないでしょうか。
その準備には、目立つ強み以外を見ることも含まれます。本人はどのように課題を見つけているか。失敗したあとに何を変えているか。必要な助けを求められているか。こうした点は、私が成長の見方を広げるために確かめたいものです。
すべてを記録し、細かく評価しなければならないという意味ではありません。子どもの毎日の行動を監視するようになれば、自分で試す余地を狭めるおそれもあります。本人と確かめる機会をつくり、大人の見方も修正できるようにしておきたいと思います。
ゲームの「早熟」と、現実の子ども
「0-2は危険なスコア」には、幼い時期に目立つ力が、その後に同じ形では優位を保たない表現があります。しかし、これは人生の変化を描くためのゲーム上のモデルです。現実の子どもの成長を測ったり、成功体験が停滞を生むと証明したりするものではありません。
ゲームでは数字の変化を見ることができますが、現実では、その数字に置き換えられない事情があります。早熟という一語で説明しきらず、本人の取り組みと、周囲の条件と、身体の変化を分けて見る姿勢を持ちたいと思います。
幼少期の優位が、その後の成長を保証しないからこそ、いまの成功を大切にしながら、次の試みを支える。その子が以前と違う姿になったときにも、同じ評価に縛らずに見直す。私が成功体験について考えたいのは、そのような関わりです。