第9章 限界と、これから

一つの立場として、問いを開いておく

私は、子ども自身が望んで取り組み、成長していける環境を、育成の中心に置きたいと考えています。この論考では、その理由を、指導者・保護者としての経験と、確認した文献、ゲーム制作の意図から説明してきました。

ただし、その考えが、すべての年代や状況で同じように通用すると確かめたわけではありません。私の経験には見えている範囲があり、参照した研究には対象と方法の限界があります。作品にも、現実の育成から省略したものがあります。

この章では、何をまだ確かめていないかを明らかにし、これから何を見直したいかを整理します。限界を書くことを、考えるのをやめる理由ではなく、次に何を問うかを具体的にするための作業にしたいと思います。

私の経験から言えることの範囲

第4章で扱った経験は、私の問いの出発点です。幼少期の成功から、その後の成長についての一般法則を導くことはできません。

成長が見られないと感じたとき、何を見ていたのか。身体の変化、取り組みの内容、機会の違い、本人の関心を、どこまで確かめられていたのか。原因の説明には、経験として述べられること以上の確認が必要です。

反則を見過ごすことで何が伝わるかについても、同じことが言えます。私は、結果と手段を分けて伝える必要があると考えますが、一つの大人の対応が、その後の行動をどれだけ変えるかを検証したわけではありません。

今後経験を書くときも、見た出来事、本人から聞いたこと、自分の解釈、わからないことを分けたいと思います。説明に都合のよい細部を補い、実話を完成させた形にはしません。本人や関係者が特定されないことにも配慮します。

研究は、主張を一括して証明するものではない

動機づけの研究は、取り組む理由や環境を考える手がかりになります。ただし、すべての文献が、同じ競技、同じ年代、同じ国の子どもを扱っているわけではありません。

理論を整理した総説、団体の方針、合意声明、質問紙による観察研究では、答えられる問いが違います。やめたいという意向を調べた研究と、実際の継続を追った研究も区別する必要があります。本文では、その違いを示すようにしました。

また、関連があるという結果と、ある指導が原因となって結果を生んだという説明は同じではありません。前向きに追跡していても、ほかの条件が影響している可能性はあります。研究の中で使われる言葉を、そのまま日常の子どもの分類に使うことにも慎重でありたいと思います。

確認が著者抄録までに留まった資料については、その範囲を明記しました。今後本文を確認できれば、方法や対象、限界を読み直し、必要なら論考も修正します。資料を増やすことより、主張と出典の対応を正確にすることを優先します。

「最も大切にしたい」と、確かめられた効果

私が本人の意思を重視するのは、その子を育成の判断の中心から外したくないからです。これは、私が採りたい立場です。育成の要素をすべて比較して、一位が確定したという意味ではありません。

本人の意思を尊重することだけで、技術の指導、参加の機会、生活上の支援の不足を埋めることはできません。安全や健康を後回しにしてよい理由にもなりません。意欲を大切にする言葉が、条件の違いを見えなくしていないかを確かめ続けたいと思います。

継続したことをよい結果として測る場合でも、休むことや別の道を選ぶことの意味は残ります。本人が考えて選んだ道を、大人の望んだ成果と違うから失敗と呼んでよいのか。私は、その問いを閉じたくありません。

この論考の判断と、効果を測るための指標を、同じものにしないことが必要だと考えています。

ゲームについて、まだ言えないこと

「0-2は危険なスコア」は、選択とそのあとを見守る作品です。ゲームを遊ぶと、子どもの意欲、プレー、保護者の声かけが改善する、と確認したわけではありません。

遊んだ感想に共感が示されても、それは実際の行動が変わった証拠とは別です。長く遊ばれたこと、よいカードが集まったこと、サイトに何度も訪れたことだけでも、育成への有用性は確定できません。

反対に、作者の期待と違う楽しみ方があったとしても、すぐに間違った遊び方と呼びたくありません。遊びとして楽しむことにも価値があります。そのうえで、作品がどのような考えを促し、どこで誤解を生んだかは、別に確かめたいと思います。

第8章で示した機能の範囲を踏まえ、ゲーム内の成長、進路、継承を、現実の将来を予測する道具としては使えません。説明を加えることで、その限界がなくなるわけでもありません。

まず、伝わり方を確かめたい

これからの見直しとして、私はまず、読んだ人や遊んだ人に、何が伝わったかを確かめたいと思います。これは今後の検討であり、すでに調査を実施したという報告ではありません。

確認したいのは、作者の主張を同じ言葉で繰り返せるかだけではありません。どの場面で何を感じたか。本人の意思を大切にすることが、放任や、結果への責任を本人へ押しつけることとして伝わっていないか。そうした点を見たいと思います。

たとえば、成長のグラフが現実の子どもを測れるものに見えてしまったなら、説明や表示を改める必要があります。継承が、親の夢を子がかなえるべきだという意味に読まれたなら、その受け止め方も見直しの材料になります。正しく伝えたつもりだ、という作者の判断だけでは終えないようにしたいのです。

感想を聞く際も、子どもやチームの実名、細かな家庭事情まで集める必要はありません。何を確かめるために、どの情報が必要かを先に考えたいと思います。掲載する場合には、本人や関係者への配慮が別に必要です。

効果を問うなら、別の準備が必要になる

もし将来、教育上の効果を確かめたいと考えるなら、感想を集めることとは別に、何が変われば効果と呼べるのかを定める必要があります。

作品の理解、気持ちの変化、現実の行動、競技の成績は、それぞれ違うものです。どの期間に、誰を対象に、何と比べて確かめるかによっても、言えることは変わります。遊ぶ前後で変化があっただけで、それを作品の効果と断定しない準備も必要です。

子どもを対象にした確認なら、参加を断れること、生活や活動への負担、必要な同意や情報の扱いについて、適切な専門性を持つ人と設計する必要があると考えます。これは、いま調査を始めるという計画ではありません。未検証の作品を、検証済みの教材として説明しないために、境界を明らかにしておくものです。

そのような検証を行うまでは、作品の説明は、提供できる体験と設計の意図に留めます。期待していることと、確かめられたことを分ける姿勢を続けたいと思います。

言葉と仕組みの両方を、直していく

論考と作品の間に違いが見つかったとき、説明文を増やすだけでは足りない場合があります。どの機能や見せ方が、その受け止め方につながったかを見直す必要があります。

一方で、論考のすべてをゲームへ機能として足すことが、いつもよい解決とも限りません。仕組みが増えれば、わかりにくくなったり、遊ぶ負担が増えたりする可能性があります。何をこの作品で扱い、何は文章や対話に委ねるかを、その都度考えます。

反則やフェアプレーを扱う機能についても、今後の検討事項です。追加を約束したものではなく、追加しなければ論考の意味がなくなるとも考えていません。いま何を担えていて、何を担えていないかを、正直に示すことから始めます。

文章の誤り、仕様との違い、出典の読み違いに気づいた場合も、直す対象にします。私の経験や思いを出発点にしながら、それを守るために事実を動かすことはしないようにしたいと思います。

子どもの先を、いま決めきらない

幼いころの成功も、うまくいかなかった経験も、その先を一つに決めるものとして扱わない。本人が何を望み、何を難しいと感じ、どのような支えが必要かを確かめる。大人の見方も、そこで変えていく。私は、そのような姿勢を大切にしたいと考えています。

「0-2は危険なスコア」という名前に込めた思いも、いまの結果だけで終わりを決めないことでした。逆転を約束する言葉ではなく、その先を見届ける姿勢として持ち続けたいと思います。

この論考に、ご自身の関わりを考える手がかりがあれば幸いです。意見や誤りのご指摘は、お問い合わせフォームからお寄せください。個人やチームが特定される情報は、必要以上に記載しないようお願いします。

参考文献・用語

ゲームを遊ぶ