第7章 言葉だけでは伝わらないとき

説明したことと、伝わったこと

口で伝えるだけでは、伝わらないと感じることがある。私がゲームを作ろうと思った理由には、この実感があります。

ただし、それは言葉による指導や説明に意味がないということではありません。必要なことを知るためにも、経験を振り返るためにも、言葉は大切です。私が考えたいのは、説明をしたという大人側の事実だけで、本人が理解し、使えるようになったと判断していないか、ということです。

本人がうなずいたこと、正しい答えを言えたこと、次の場面で選べたこと。その三つは、同じではありません。実際にはわかっていても、その場で選べないこともあるでしょう。大人に見えていない難しさがあるかもしれません。

この章では、言葉を減らせばよいと結論づけず、説明と、試す機会と、そのあとの振り返りを、どのようにつなげたいかを考えます。

まず、言葉で伝える必要があること

安全、ルール、参加するときの約束。本人に経験させてから気づけばよい、と任せてはいけないことがあります。危険な結果を体験することを、学習の機会として求めるつもりはありません。

知らない方法を教えることにも価値があります。大人が何も示さなければ、本人の持っている情報だけで試すことになります。何がわからないかも、まだわからない場合があるでしょう。必要な手がかりを、理解できる言葉で渡すことを、私は大切にしたいと思います。

そのうえで、説明の長さや難しさが、その子の状態に合っているかを確かめます。大人が詳しく話せたかより、本人が次に何をしてみればよいかをつかめたかを見る。十分に話したはずだと感じるときほど、こちらの説明を見直す余地を残したいのです。

大人が一度で完璧に伝えなければならない、と考える必要もないと思います。試したあとの反応を見て、必要な部分を説明し直すこともできます。

体験を用意することも、大人の選択である

私は、体験なら何でもよいとは考えていません。どの場面を選ぶか、どのくらい難しくするか、どこで助けるかによって、本人が向き合うものは変わります。

たとえば、説明のための仮想例として、味方を見ることを課題にした場面を考えます。大人がその言葉だけを繰り返す代わりに、見た情報によって選べる方法が変わる、小さな練習場面を用意することが考えられます。何を見るかを一緒に確かめ、安全な条件で試し、そのあとに何が見えたかを聞く、という流れです。

これは、特定の練習法の効果を報告しているものではありません。私が考える、説明と経験をつなぐ方法の例です。競技上の正解や練習の条件は、年代や本人の状態、場所や人数に合わせて考える必要があります。

うまくいかなかったときに、経験させたのだからわかるはずだ、と本人へ責任を戻したくありません。何を確かめる場面だったかが伝わっていたか、難しすぎなかったか、必要な助けがあったかを、大人も振り返ります。

結果のあとに、解釈を急がない

同じ体験でも、本人が受け取るものは、大人の予想と違うかもしれません。失敗して次を考えたのか、失敗を人に見られたことだけが残ったのか。出来事を用意しただけでは、その意味までは確かめられません。

そこで私は、経験のあとに本人の言葉を聞く時間を置きたいと思います。何が起きたと思うか、どこが難しかったか、もう一度なら何を変えたいか。答えを誘導するためではなく、本人が見ていたものを知るために聞きます。

説明のための仮想例ですが、大人が協力の大切さを学んでほしいと考えていた場面で、本人は自分が失敗したことばかり気にしているかもしれません。そのとき、協力の話を理解しなかったと叱る前に、本人の気になることを扱う必要があると思います。

振り返りの質問も、毎回一式を答えさせる課題にはしたくありません。すぐに話したくないときや、言葉にまとめにくいときもあります。言い直せる時間を残し、大人の方から一つの見方を渡して終えることがあってもよいと思います。

選手が自分の経験を持てるようにする

本人が考えることを大切にすると、大人はいつも黙っていなければならないように感じることがあります。私は、口を出すか、出さないかの二つだけで考えたくありません。

何を伝え、何を本人に残すかを考えたいのです。安全の基準や、まだ知らない方法は伝える。本人が何を見て選んだかは、先に答えを決めずに聞く。すぐに変えられないことには、その事情を説明する。そのように、関わる中身を分けます。

第6章で参照した指導者と選手の関係のモデルも、支援を、単に選択肢を渡すことだけにはしていません。私は、その視点を、説明をしたあとも本人の受け止め方を確かめるという、自分の関わり方へつなげたいと思います。R11:Mageau・Vallerand(2003)

ただし、いま述べた対話の流れが、そのまま文献で検証された手順なのではありません。参考にする理論と、私が提案する関わり方を分けておきます。

保護者は、すべての答えを持たなくてもよい

試合のあと、子どもにどこまで聞き、何を話すかは、保護者にとっても難しい場面だと思います。私は、保護者がすべてのプレーの解説者になる必要はないと考えています。

本人が話したいことを聞き、わからないことはわからないと伝えることもできます。指導者と確認する方がよい内容なら、その役割につなげる。家庭では、競技の外にある生活や気持ちを支える時間も大切にしたいと思います。

見守ることを、結果を知らず、関心も示さないことにはしたくありません。しかし、すべての出来事に評価を添える必要もありません。話したくなったときに聞けることと、大人が今すぐ聞きたいことを質問することの違いを、意識したいのです。

本人が大人の評価を待つ前に、自分の経験として考えられる余地を残す。そのために、こちらの見方を伝える順序や量も変えられると思います。

ゲームは、違う立場から考えるための一つの場

私が作ったゲームでは、架空の選手の節目で選び、そのあとを見届けます。この仕組みを選んだ理由は第8章で説明します。ここでは、対話のきっかけとしての使い方を考えます。

ただし、架空の選手の結果を見て感じたことが、そのまま現実の子どもへの理解に移ると確認したわけではありません。画面の中なら受け止められた失敗を、現実でも同じように受け止められるかは、別の問いです。

もしゲームをきっかけに話すなら、どの選択をしたかだけでなく、なぜそうしたか、結果を見てどう感じたかを共有することが考えられます。これは、私からの利用の提案です。特定の答えを言わせたり、実際の子どもの進路をゲームの結果に合わせたりするためには使いたくありません。

本人が遊びたくない場合まで、育成のために必要だと押しつけることも、制作の意図とは合いません。作品に触れるかどうかを含め、本人の意思を尊重したいと思います。

体験を、説明の代用品にしない

言葉だけでは伝わらないと感じたとき、別の方法を探すことには意味があると思います。しかし、体験という言葉を使えば、わかるはずだったという大人の判断が正当化されるわけではありません。

説明する。試せる条件をつくる。本人がどう受け取ったかを聞く。必要なら、また説明や条件を変える。私は、その往復を続ける姿勢を大切にしたいと思います。何回行えば理解するかを決める方法ではなく、大人も伝え方を変えられるようにしておくためです。

口で伝えるだけでは届かないという私の実感は、言葉を捨てる理由ではありません。本人の経験に近づくために、言葉と試みと振り返りを、もう一度つなぎ直したいという出発点です。ゲームも、そのつなぎ方の一つとして考えています。

参考文献・用語

ゲームを遊ぶ